プロフィール

 

M’s smile代表
尾崎 有希枝(おざき ゆきえ)神戸市出身 / 京都府相楽郡在住
神戸商科大学商経学部卒(現兵庫県立大学)
㈱フォルムート認定 メンタルコーチ
㈱アクトフォーカス認定 インナーポテンシャル診断解説士・インナーコーチング1級
一般社団法人エフェクティブコーチング協会 R8コーチング修了
アドラー心理学 愛と勇気づけの親子関係セミナー SMILE 修了

大学卒業後、憧れのシステムエンジニアとしてデビュー

中学の頃から憧れていたシステムエンジニアとして、徳島にあるソフトウェア開発会社の社内システム担当として社会人をスタートしました。

憧れの仕事ができる!と喜んだのもつかの間、女性部長に「女の子だから」と夜間の勤務を外され絶望したのは入社して1年半後のことです。

「仕事はずっと続けたい」
「性別で区別される職場はイヤ」
そんな想いで転職活動を始めると1ヶ月で「今すぐ来て欲しい」とオファーをいただき、徳島での仕事は2年で終わりを迎えました。

 

システムエンジニアとして再デビュー

阪神淡路大震災を機に起業したベンチャー企業での再就職は、お客様先に常駐する仕事がほとんど。

ベンチャー企業に在籍しながら大手企業のシステム開発に関われるのは刺激的で、休日出勤や終電で帰る日々も充実感をもって働く毎日でした。

 

マネジメントデビュー

2004年 大手企業へチームで常駐する仕事でサブリーダーに

働き始めてから初めて後輩を身近に感じるプロジェクトへ参加することになりました。
それまでの働き方は派遣先へ一人で行くことがほとんどで、自由に気ままに自分の仕事を全うする、会社帰りに夫と待ち合わせして飲んで帰る、そんな毎日を過ごしていました。

他社のメンバーも含む大所帯のプロジェクトでしたが、残業続きの毎日でもとても楽しく働いていました。

子育てとの両立で『がんばりスイッチ』が入ってしまう

社内事情に疎すぎて、女性の先輩社員がどんな風に妊娠期間をすごしてきたのか、復帰したらどんな働き方があるのか、よく知らないまま産休に入りました。

3月末生まれの息子を4月1日から保育所に入れたら、時短ですぐ仕事に復帰できると思っていた私。
入園前の説明会で、「最初は慣らし保育があること」、「環境が変わるタイミングでの卒乳は勧められないこと」を聞いて焦ったものの、4月から復帰すると言っているのに「今さら変えられない!!」と急遽、夫に2週間の育休を取ってもらうことになりました。

復帰してからは嵐のような日々

会社が遠かったので、時短にしても7時半に家を出て19時のお迎えに滑り込みの毎日。
今まで通りの成果を出さなければ
育児もしっかりやらなければ
最初の2年くらいは記憶がほとんどありません。

復帰してからしばらくは開発部門での仕事をしていましたが、残業できないことが思った以上の負担となり、色々な問題から管理部門へ異動することになりました

仕事が終わってからのお月見団子

マネジメントの難しさを知る

管理部門では品質管理の仕事をしていました。

品質を上げるためには時間が必要、とはいえ現場にはそんな時間の余裕はなく、なかなかルールを守ってもらえない日々。
自分たちがきっちりやることをやってないと、お願いしても守ってもらえない。だから、それまで以上に「仕事は抜け漏れなくやらなければならない」という意識が強くなっていきました。

この頃、役職が上がって本格的にマネジメント業務をするようにもなり、年上の部下を前に上手くいかないことも増えて、初の女性マネジャーとしてしっかりやらなくては、という新たな責任の重さを感じ始めてもいました。

「部長なんだから」の重荷

2016年9月 社内で初の女性部長になりました。

品質管理のマネジメント業務に加え、情報システムの運用管理部門も担当するようになり、日中の忙しさは目が回るようでした。

育休から復帰して働く部門のメンバーも増え、復帰後に子育てをしながら働くことのしんどさが分かるからこそ、彼女らが少しでも気分よく働けるようにという事を考える一方で、そうでは無いメンバーにも気分よく働いてもらいたいとより強く感じるようになりました。

月に一度のママランチ(左下が私)

コーチングとの出会い

身体がしんど過ぎてもうどうにもたまらない!と感じていた頃、コーチングで独立した元同僚が「体験コーチングを受けてみない?」と声を掛けてくれたのがきっかけで、コーチングセッションを毎月2回受けるようになりました。

話を聞いてもらうだけなのに、その時間だけは不思議と心が落ち着いて、自分のことを認められることが増えていきました。

土曜日の朝から東京へ

縁あって一緒に仕事をすることになった部門のメンバーにも、コーチングを受ける体験をしてもらえたら、もっと充実感を持って仕事にも取り組めるのではないか?そのためには私もできるようになりたい!と思って、週末を使って毎月東京まで「アドラー心理学×コーチング」の技術を学びに行くことを始めました。

がんばりが足りない

部長になるまでは体力的・時間的にしんどいことはあっても、業務内容が辛いと思う事はあまりありませんでした。しかし、会社の方向性をきちんと理解して部門へ落とし込むことをやり始めたときに、上司たちと話がかみ合わないと感じることが増えました。

コーチング(コミュニケーション)を学んでいるんだから、かみ合わないのは自分の伝え方が悪いんだ。
役員として、こういうことは普通考えておくものではないのか?なぜ?どうして?どうしたらいい?

そんな事が積み重なって、いつしか身体はアラートを発するようになり、常に耳鳴りがするようになり、寝ても寝ても疲れが取れない日々を過ごしていました。

それでもまだ自分の頑張りが足りないと思っていました。

あと10年ここで同じように頑張ることができる?

兼務の仕事を4つも抱えながら何とか踏ん張っていたある日、ふとこう思いました。

私は何のためにこんなにも頑張っているのか?
私の頑張りは私の幸せにつながっている?

違う。

そう思いました。
なんとかしたいと思ってしんどい身体に鞭打って学びながら仕事を続けても、自分の叶えたい未来と上司たちが叶えたい未来が重なると思えない。

私は十分頑張った。

その時、退職することに全く不安を感じなくなっていたのです。
何度も何度もコーチングセッションを受けて、「子育て中で何の技術もない私を採用してくれる会社なんてある訳ない」と言い続けた私にその時が来たのかな、と思います

インナーゲームとの出会い

引継ぎをして残りの出勤日数もあとわずか、有休をとりながらゆっくりしている時に、東京で一緒にコーチングを学んでいた知り合いが、「インナーゲームの勉強会に参加しました!」という投稿をしているのを偶然見ました。

その時なぜか分からないのですが、
「今の私に必要なのはこれかも知れない」
と思ったのです。

そんなに親しかった訳でもない知り合いの投稿に、どうしてそんな風に思ったのかは今でも分からないのですが、その年の12月から福岡に通う生活が始まりました。

みんなにはできるけど、私には無理

インナーゲームを学び始めて、私は思考型だという事が分かりました

初日の講座を受けた後「気づいたらやっちゃってた」というインナーゲーム体験を作るための宿題が出ました。
一ヶ月間取り組んだものの私には何の成果もなくて、たった一ヶ月だしみんなそんなものだろうと思っていたら、自分以外の人たちは「スゴイ!」「こんなことが起きた!」と楽しそうに報告が・・・

それを見て少し不安になりながら「まだ一ヶ月、来月こそ」と思って取り組んだものの、何も変わらない日々、そしてできない自分に「やっぱりね」とがっかりし続ける日々になりました。

インナーゲームの学び自体はとても面白く、一緒に学んだ仲間の成果に驚かされたし、これが世の中に広まったら働き方が変わるだろうな、そうなったらいいなと思うようになりました。
就職活動をするのか、独立するのかを決めずにいた私でしたが、このころにはインナーゲームを伝える人になりたい!と思うようになっていました。

 

え?あれ!?できてる!!

インナーゲームの学びを終えた後、ほどなくして仕事にも生かすための講座「インナーワーク実践セミナー」が開催されました。

初日の講義が終盤を迎えるころ、インナーゲーム講座の時と同じようにインナーゲーム体験を作るための宿題のテーマを考える時間がありました。
そこでふと気が付いたのです。

え?あれ!?待って、待って!!
私、前に立てたテーマの目標、いつの間にか出来てるーーー!!!!

自分でもとても驚きました。みんなよりかなり時間はかかりましたが、私にも体験を作ることができていたのです。

そしてこの体験は「人によって時間のかかり方は違うけど、誰にでもインナーゲームで体験を作ることはできる」という信念になりました。

自分らしく働く、自分らしく生きる

私が働く会社を決めた20代の頃は、自分がやりたいことで働くことができて、忙しくても毎日楽しく働いていました。

育休後に異動をしてからの仕事も嫌いではなかったけど、そこには「自分らしさ」というものが無かったのかなと思います。

コーチングセッションを受け続けて、自分はどうなりたいのか?自分はどう生きたいのか?を問い続けたこと。
インナーゲームを学んで、自分らしく成果を出す方法を学んで実践して体感したこと。

これをもっともっとたくさんの人に体験してもらいたい。
そして、自分らしく働いて、自分らしく生きる毎日を手にしてもらいたい。

どうせ無理、自分にはできない、そう思っていた私がこんな風に変われたのも、多くの方の支えや教えがあったからです。
これからは、私が今も一人で頑張り続ける人たちの支えになることができたら、こんな幸せなことはないなぁと思っています。

 

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